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BOWWOW(バウワウ)は、日本のハードロックバンド。また、英語表記での犬の鳴き声。以下解説はバンドに関する事項とする。 1976年にBOW WOW(バウワウ)の名前でデビュー。1983年にギター兼ヴォーカルの斉藤光浩が脱退するまでオリジナルメンバー4人で活動を続けた。 新たにキーボードの厚見玲衣とヴォーカルの人見元基を加えて5人編成となり、1984年にバンド名をVOW WOW(ヴァウワウ)に変えた。その後ベーシストの交代が二度あり1990年に解散した。1998年からBOW WOWとして再結成、現在はBOWWOWと名乗って活動している。2010年にVOW WOWとしても再結成ライブが二夜限りで披露された。 == 来歴 == === BOW WOW === BOW WOW(バウワウ)は1975年に芸能プロダクション小沢音楽事務所系列のアルト企画のプロデューサー上野義美が自身の売れるロック・バンド構想に合うメンバーを集めて作ったロック・バンドである。最初にアイドル・バンド、ドゥー・T・ドールのメンバーだった斉藤光浩と新美俊宏が選ばれた。上野の構想は斎藤をリード・ヴォーカルに据えたBCR系のアイドル・ロック・バンドだったが、リード・ギタリストに実力者を1人だけ入れてバンドの支柱とするアイデアもあった。その役割を担うべく選ばれたのが島根出身で当時プロギタリストを目指して東京の音楽専門学校に通っていた山本恭司である。山本の参加で、上野が期待した以上に本格派志向が強まり、未定のベーシストは山本の推薦を上野が吟味する形で選考が進められた。山本が推薦したベーシストには同じ音楽専門学校に通う渡辺建(ex.プリズム)も居たが、上野は「本格派過ぎてもいけない」と却下している。山本が故郷でセッションしたことのある佐野賢二が最終的に選ばれた。 バンドの基礎固めのため、山本が教師となって長期合宿による練習が敢行された。 デビュー準備期間中、上野のアイドル構想を雛型としながらバンドの可能性を探る試行錯誤が繰り返された。英詞曲の採用や山本のヴォーカル担当といった当初の予定になかった選択もなされた。やがて若手天才ギタリストが率いる本格派ハードロックバンドという機軸ができ、その方向性が明確になった時に上野が協力を依頼したのが、当時、若手音楽評論家の渋谷陽一だった。 渋谷は自身がDJを務めていたNHK-FMの洋楽ロック専門番組『ヤング・ジョッキー』でレコードデビュー前のBOW WOWを紹介した。かけたのは英詞曲の「Heart's On Fire」で、かけ終わるまで日本のバンドと明かさなかった。全国のロックファンに初めて聴いてもらったことを理由に、山本はこの曲をライブ等で「デビュー曲とも言える曲」と紹介するのが通例となっている(デビューシングルは日本語詞の「ボリューム・オン」)。 主導権が所属音楽事務所にあるのは当然との認識を持ちつつ各メンバーがベストを尽くし続けていたというのが第1期の特に初期から中期の実態である。山本は当時を振り返るときには「事務所に洗脳されていた」と笑いながら語る。 *1975年、山本恭司(ボーカル、ギター)斉藤光浩(ボーカル、ギター)佐野賢二(ベース)新美俊宏(ドラム)の4人でバンドを結成。 *1976年、アルバム『吼えろ!バウワウ』でデビュー。 *1977年1月、エアロスミスの初来日公演の前座を務める。3月にはキッスの前座も務める。 *1977年7月、2nd『SIGNAL FIRE』リリース。 *1977年12月、3rd『CHARGE』リリース。 *1978年3月、キッスの2度目の来日公演の前座を務める。 *1978年6月、ライブアルバム『SUPER LIVE』リリース。 *1978年12月、全曲日本語歌詞の4th『GUARANTEE』リリース。ここから歌謡ロック路線になる。 *1980年2月、5th『GLORIOUS ROAD』リリース。 *1980年9月、アリス(当時)の矢沢透をプロデューサーに迎えた6th『TELEPHONE』リリース。 *1980年11月、スーパーマリオラマ(特撮人形劇)『Xボンバー』のサントラ『組曲Xボンバー』リリース。 *1981年4月、NWOBHMの煽りを受け、7th『HARD DOG』リリース。 *1982年4月、8th『ASIAN VOLCANO』リリース。この頃から海外でもバンドの名が知れ渡る。 *1982年7月、スイスの音楽フェス『モントルー・ジャズ・フェスティバル』に日本代表として出演。 *1982年7月 - 8月、新作レコーディングと『レディング・フェスティバル』出演の為にロンドンに滞在する。 *1982年9月、9th『WARNING FROM STARDUST』リリース。 *1983年春、ハノイ・ロックスと共に英国ツアーを行い、その時のツアーを収めたライブアルバム『HOLY EXPEDITION』を7月にリリース。 *1983年11月21日、中野サンプラザ公演を最後に斎藤が脱退、BOW WOWの歴史に一旦幕が下りる(斎藤は田中一郎の後任としてARBに加入、田中一郎は甲斐バンドへ)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「BOWWOW」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bow Wow (band) 」があります。 スポンサード リンク
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